石峰寺(京都伏見)


京都出張の際、以前から行きたかった石峰寺へ。
参拝者で賑わう、伏見のお稲荷さんの境内から、南に約300M。
住宅街や墓地を抜けると、画像の石塔が見えてきます。



石峰寺は、百丈山(ひゃくじょうざん)と号し、黄檗宗に属します。



先程の石塔から東に100M登ると、
中国風の赤門が見え、この奥が本堂です。
ここは、宝永年間(1704〜11)、
萬福寺の千呆(せんがい)和尚の創建と伝えられ、
当初は諸堂を完備した大寺でありましたが、
度重なる災火により堂宇を焼失し、
現在の本堂は昭和60年に再建されたものとのこと。



本堂背後の山には、石像釈迦如来像を中心に、
十大弟子や五百羅漢、鳥獣などを配した一大石仏群があります。

これは、江戸時代の画家、伊藤若冲が当寺に庵をむすび、
当寺の住職密山とともに制作したもので、釈迦の生涯をあらわしているとのこと。
画像上は、お墓と筆塚(右手の円柱石塔)。若冲はここに眠っています。



若冲のお墓から、参道を東に30M登ると、画像の山門。
ここから五百羅漢の裏山(?)へ。

 

               来迎菩薩


 

                羅漢
一体一体の表情が豊か、時(風化)がいい味わいを作り上げています。

 

          説法(釈迦・文殊・普賢)




               賽の河原


伊藤若冲は、江戸時代中期の画家。
光琳派より、宋や元の古画を学び、
写生を基礎とした動植物を描き、特に鶏画家として有名です。

京都の錦市場の八百屋に生まれ(八百屋と云っても従業員1500人程)、
仏教、特に禅への並々ならぬ傾倒を示し、30歳代半ばより相国寺に参禅。
そして、若冲居士の号を得て、ひたすら禁欲僧の如き生活をし、
生涯独身を貫き、子を残しませんでした。
晩年は、妹と、この石峰寺の古庵に住み、米一升に一画を報い、
升米翁として、寛政12年85歳の生涯を閉じられました。

昨年の細見美術館での勉強会から若冲に傾倒している私。
念願の墓参を済ませることが出来、晴々しい気分。
一層、攻究したくなりました。


投稿日時:2010.06.08(火) 17:02:37|投稿者:tohka