こんにちは、またはこんばんは。陶花スタッフの池田です。
先日、私用でちょっとお休みをいただいて東京まで行って来ました。
日程的に強行スケジュールだったのですが、
「これだけは行っておきたい」と東京へ着くなり足を運んだのが
国立新美術館で開催されていた【ルーシー・リー展】です。
陶花でも個展を開催するたびにそのファンを増やしている作家・増渕篤宥さんが多大な影響を受けたという、
女性の陶芸家の回顧展ということで美術館に入る前からワクワク。
最終日間近ということですごく沢山の人が見に来ていました。
器の展覧会でここまで多くの人が見に来るというのは、宮崎にいると見られない光景なので
さすが東京というかさすがルーシー・リーというか、多少のカルチャーショックをうけつつ…。
ひとつひとつの作品はかなり近くで見ることができ、
今でも全く古臭さを感じさせない緻密でスタイリッシュなものばかり。
無駄をそぎ落とした究極のシンプルさと、様々な釉薬が魅せる色の調和。
これが食卓にあったら料理もさぞ美味しそうに見えるだろうなあと一点ごとに想像を働かせながら見てしまいました。
周囲からは、
「あっこれカワイイ」
「これ欲しい〜」
という声もちらほら上がっていました。
また、企業秘密ともいうべき釉薬ノートや、
注文ノートなども展示されていて見応え十分。(←内容は理解できませんが…)
今から100年ほど前に生まれたルーシーさんは若い頃からその才能を発揮し、数多くの作品を世に送り出してきました。
よくよく見ると、今でもよく売られている器の形の元となったであろう作品などもあり、後世に与えた影響の大きさを知ることが出来ます。
東京展は終わってしまいましたが、次は益子。その後も各地で巡回展をするみたいです。
お近くの方はぜひ見に行かれてはいかがでしょうか。
会場で購入した図録。洋書のような雰囲気で装丁もすてきです。
陶花スタッフ
池田
久しぶりの更新、スミマセン。
今日も宮崎は雨。
・・・梅雨ですからね。反対に降らないと困ります。
梅の実が熟する頃の季節なので、梅雨。
古くは陰暦の五月にあたるので、五月雨(さみだれ)とも云い、
この時季に雨が降らない事は、空梅雨と言います。
古来より、降ったり降らなかったり。・・・自然は今も昔も、変わりないのでしょうね。
さて、本日、陶花の大切なお客様、E先生御夫妻が御来店。
E先生と云えば、人形!!
・・・此れまで陶花で個展(来店)された陶芸作家さん
(田中忍先生、三輪さん、東木場さん、増渕さん、岩戸さん など)や
私を含め陶花スタッフまで、作って戴きました。
今回は、ワールドカップ!と云うことで、
E先生御夫妻も彼のプレーには、吃驚させられたという、メッシ。
いつも、私たちを喜ばせてくれる人形達。
相変わらず、見えないところ(スパイクの裏側など)まで、
バッチリ作られていて、素晴しいのひと言。
先生、これからも楽しい、思わず微笑んでしまう人形達を魅せてください。
12日(土)より、ギャラリーにて、
陶花でお馴染み、太田恵さん(波佐見・斉山窯)の個展がスタートしました。
陶花本店1階にて2回、ギャラリーにて8回目、
今回は記念すべき10回目の個展となります。
約400点の作品にて、個展開催を迎えましたが、
初日(土)、2日(日)で、約150点の作品が旅立っていきました。
・・・やはり、凄い人気ですね。
本日、約100点を追加、ディスプレイいたしました。
きっと、気に入る作品があるはずデス・・・
あなたのヒトツを、見つけに来られませんか?
福元先生の個展も8日(火)に終了。
昨年(前回)とは、また別の薩摩焼の可能性を魅せて戴きました。
先生と私に共通するモノ。・・・それは若冲。
今回も沢山の作品の中に盛り込まれていました。
若冲の、圧倒的な色彩と生命力、そして徹底的なリアリズムは、
福元先生の作品には欠かせないモチーフ。
透かし彫りなど、薩摩焼とのコンビネーションは最高。・・・ドキドキします。
今後がまたまた楽しみになりました。
先生、今後ともよろしくお願いします。
さて、画像は、10日(木)の宮崎、夜の街のパトロールの様子。
(右:福元先生、中:中吉徹次氏・・・陶芸家兼職人さん)
口蹄疫の影響で、宮崎の繁華街はガラガラ〜大変です。
・・・宮崎では各種大会やイベントなどの中止が相次ぐ状況。
また、昨日からは、宮崎市内の図書館、博物館、科学技術館、
体育館や公民館などの公共機関はすべて閉鎖になり、
県内の消毒ポイントも460箇所と激増しました。
・・・畜産農家の方々への援助や心のケアは勿論ですが、
県内経済の疲弊打破に向け、県や市町村、特に我々商業者が
一体となり、復活に向けて頑張るしかない!!のです。
「がんばるぞ!宮崎」
京都出張の際、以前から行きたかった石峰寺へ。
参拝者で賑わう、伏見のお稲荷さんの境内から、南に約300M。
住宅街や墓地を抜けると、画像の石塔が見えてきます。
石峰寺は、百丈山(ひゃくじょうざん)と号し、黄檗宗に属します。
先程の石塔から東に100M登ると、
中国風の赤門が見え、この奥が本堂です。
ここは、宝永年間(1704〜11)、
萬福寺の千呆(せんがい)和尚の創建と伝えられ、
当初は諸堂を完備した大寺でありましたが、
度重なる災火により堂宇を焼失し、
現在の本堂は昭和60年に再建されたものとのこと。
本堂背後の山には、石像釈迦如来像を中心に、
十大弟子や五百羅漢、鳥獣などを配した一大石仏群があります。
これは、江戸時代の画家、伊藤若冲が当寺に庵をむすび、
当寺の住職密山とともに制作したもので、釈迦の生涯をあらわしているとのこと。
画像上は、お墓と筆塚(右手の円柱石塔)。若冲はここに眠っています。
若冲のお墓から、参道を東に30M登ると、画像の山門。
ここから五百羅漢の裏山(?)へ。
来迎菩薩
羅漢
一体一体の表情が豊か、時(風化)がいい味わいを作り上げています。
説法(釈迦・文殊・普賢)
賽の河原
伊藤若冲は、江戸時代中期の画家。
光琳派より、宋や元の古画を学び、
写生を基礎とした動植物を描き、特に鶏画家として有名です。
京都の錦市場の八百屋に生まれ(八百屋と云っても従業員1500人程)、
仏教、特に禅への並々ならぬ傾倒を示し、30歳代半ばより相国寺に参禅。
そして、若冲居士の号を得て、ひたすら禁欲僧の如き生活をし、
生涯独身を貫き、子を残しませんでした。
晩年は、妹と、この石峰寺の古庵に住み、米一升に一画を報い、
升米翁として、寛政12年85歳の生涯を閉じられました。
昨年の細見美術館での勉強会から若冲に傾倒している私。
念願の墓参を済ませることが出来、晴々しい気分。
一層、攻究したくなりました。
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